櫟家で出会える大黒さんと恵比寿さん
大黒さんと恵比寿さんは財福の神として民家にまつるものですが、いろいろ調べてみると驚きのエピソードがたくさんあります。
大黒さん(大黒天)のルーツをたどると、インドの神様で青黒い身体を持つ破壊と戦闘の神だったそうです。ですが、インドでは全ての大黒天が恐ろしい姿で表現されたものではなく、寺院の台所には金の袋を持つ小柄な大黒天が祀られ、いつも油で拭かれるのでその体は黒くなり、台所の神様としての顔もあったということです。
日本へは伝教大師によって伝えられ、比叡山を中心に天台宗寺院で台所の守護神としてまつられるようになったということです。それが一般に広まるようになったのは大黒天と大国主命が習合し、両者が一体となり、農村で田の神、商家では商売繫盛の神様となっていきました。かつて家を建てる時、土間と座敷の間に中心となる柱が立てられ、そこに大黒天を祀ったから「大黒柱」という家族を支えて中心となる人物を指す言葉が生まれました。
恵比寿は海外から来た異邦人などを意味する「エミシ」が語源と考えられています。外部の異郷から福をもたらしてくれるとして漁村では大漁の神と崇められ、そして中世における商業の発展とともに商業神としての性格を持ち始めます。
兵庫県西宮神社の祭神である蛭児大神は、別名夷三郎(えびすさぶろう)と呼ばれ、三郎というのは大国主命の子である事代主命とされ、恵比寿さんが大黒さんの子と言われるようになりました。
今ではこの2体を飾る(祀る)と家内繁栄、五穀豊穣、商売繫盛として広く親しまれています。以上、話は随分端折っていますので、ネットなどを検索してみてください。
写真は上から、神棚に祀っている古い土人形の大黒天、久留米絣、博多張り子、古い石彫刻、木彫り、古型博多人形。
下2枚は、それぞれ岩手県六原張り子の犬の恵比寿大黒起き上がり、福島県中湯川土人形の兎の恵比寿大黒。これは販売中。